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2012年4月7日土曜日

インドネシア紀行

日本が春本番前の3月末、一週間ほどインドネシアへ行ってきました!
これは、日本とインドネシアの「いりあい交流」を進めている一般社団法人あいあいネットの島上さんの立ち上げたプロジェクトで、スラウェシ島中部にある山村の暮らしを映像記録することを通し、お互いに様々なことを発見しよう、というもの。
もともとは2007〜2009年までの2年間のプロジェクトで、私はその後半の2009年に絵描き部隊として投入されることになり、現地へ2回ほど行ったのでした。

そして今回は、映像、文章、絵の三つを、いよいよ映画と本にまとめようという最終段階。なので、村へ行くというよりはひたすら街でディスカッションの一週間でありました。(iwa)

(続きは以下↓)





日本を飛び立った私たちは、インドネシアの首都ジャカルタを経由して、その日の晩には中スラウェシの州都パルに到着。これまでは二日間かけてのパル入りだったので、あまりのスピーディさに、ちょっとおかしな感覚に。
↑写真はパルの玄関・ムティアラ空港。荷物の出てくるコンベアーが異常に短いので(笑)うっかりしていると、どんどん手前に落ちてたまってゆくという空港であります。


現地での活動拠点、NGO BANTAYAの事務所へは乗り合いタクシー「ANGKOT」で移動。一回の利用が一人Rp.3000-(日本円で約30円)なり。右に映っているのが島上さん。インドネシア語でドライバーをさくさく誘導。


BANTAYAでは、マンゴーを剥いて待っていてくれました。
何故なら前回の滞在中、「マンゴーが食いたい」と散々食べまくった日本人がいたから(それは私)。旬からは少し外れているので、青いマンゴーです。さっぱりした酸味が、長旅で若干ヘタリ気味の身体に有難かったです。
ちなみに土地の人は、右の小皿の塩辛い調味料をつけていただくんだそうです。私的には、青いマンゴーまんまでもいけたし、調味料をつけてもいけました。


右側3人がパルの作業チーム、左の二人は、パルから12kmほど山に入ったトンプという村で中心的役割を持ってきたご夫妻。街と村という違いはあれ、皆、カイリ民族です(島国インドネシアには、たくさんの民族がいます。200〜300民族ともいわれます)。
私たちが記録してきたのは、このトンプの陸稲を中心とした儀礼や生活の姿です。


右端にいるのが、NGO BANATAYAの代表・Hedar。自身もカイリ民族で、弁護士として少数者の抱える問題の解決に奔走する人。
インドネシア語はカイリ語に比べると語彙が少ないらしく、ぴったりした訳を見つけるのがたびたび難しかったりします。Hedarはカイリ語で育ったので街の若者より翻訳に長けていますが、それでも適当な言葉が見つからず、困ることしばし。トンプのご夫妻がわざわざ山から降りてきてくれ、根気づよく作業につき合ってくれたのでした。

皆でお昼ご飯。
2年半ぶりのパルの街はだいぶ印象が変わって、前述の空港も新しいターミナルが建設中だったり、綺麗な家がいくつも建ったり、好景気なよう。この食堂も前はなかったものでした。BANTAYAから徒歩数分なので、半ば御用達化。左が映像のDavid、真ん中が何担当と言っていいのかわからない(笑)Ewin、右は文章のRun。


私がもっぱら一緒に作業したのは、絵チームのJack。2年会わないうちにアフロヘアーになってた(笑)独学で絵を描いていて、でも今回のプロジェクトでは「記録用の絵」を求めたので、最初はちょっと戸惑っていた様子でした。
今回は最終段階なので、村の方に細かく聞きながら仕上げに向けての作業を進めています。「言葉がわかったら、もっとトモコと絵の話がしたかったな」と言われました。私も同じ気持ちでした。


映像チームには、日本での山村の記録撮影に豊富な経験を持つカメラマン・澤幡さん(左)がプロジェクト当初から参加しています。独学ながらコツコツ地域の映像を自主的に撮りためてきたDavidには、すっかり良い兄貴分です。
会うと大概、機材談義。二人の世界が出来上がっちゃってます。



朝から晩まで議論・議論・議論…、なので、4日目には日本人もパルのチームもこんな感じ(笑)。皆クタクタです。
奥でJackが一人、黙々と絵を描いてます。


別れ際にRunとの握手をパチリ。私は日本人でも色白な方、Runはインドネシア人でも色黒な方なので、「(肌色が)コーヒーとミルクね!」と皆にからかわれます(笑)
この滞在中、インドネシアでは国が管理するガソリンの大幅値上げの発表に、全土で大規模なデモが行われていました。たかがガソリンと思うかもしれませんが、そこには根深い社会構造の問題なども絡んでいて、社会問題に熱心なBANTAYAの若者たちも、デモの行方を気にしている様子でした。Runもその一人で、休憩の合間にはデモを報ずるテレビをじっと見ていました(結局、値上げは延期になったそう)。


ずーっとBANTAYAの事務所に缶詰だったので、最後の日はパルのパサール(市場)を散歩しながらホテルへ帰りました。
ごみごみとした人の熱気は相変わらずで、パルに来たなーって感じがしました(最終日にして?)。


ジャカルタに戻った私たち、日本行きの飛行機まで時間があったので、タクシーの運転手さんが港へ連れて行ってくれました。オランダ統治時代に主要な貨物港だったところらしく、今も大型の船が数十艘、舳先をずら〜〜っ。しかもこれが木造船だというからびっくり!
澤幡さんと二人ではしゃぎまくりました(笑)
この船はスラウェシ島南部のブギスという人たちの船で、島から島へと物資を運ぶ現役の船だそう。さすが海洋民族。しかし、写真では今ひとつ感動が伝わらないのが残念なところ。。。トラックと比較すると、船の大きさがわかるような?



港の近くにある、やはりオランダ統治時代の灯台。わかりづらいけど、ピサの斜塔ばりに傾いてます。中に入れましたけど、変な傾き具合なので平衡感覚が狂ううえに、足の筋肉が変な感じに。。。


塔の一番てっぺん、屋根の上まであがった私たち。
「ぎゃー、怖いー!!!」って叫びながらの島上さん。眼下左にある赤煉瓦の建物も、オランダ統治時代のものだそうです。
ちなみに澤幡さんは、「俺は高いところは得意じゃないんだよー」と言いながら、島上さんより上にあがって写真を撮ってました。さすがカメラマン。


さて、今回の滞在で2007年から始った作業も一段落ということになりそうです。7月にはパルでお披露目会も予定されていて、映像に本に、と、皆であれこれやってきたことが形になりそうなことが、私は嬉しい。
経済的な利害ではなく、ただ純粋に地域の文化や精神を学び合う。「こういう作業はインドネシアでも珍しいことだよ」と、Hedarが言いました。八百万の神という感覚がどこか生きている日本人だからなのか、トンプの人がいう稲霊(いなだま)という存在も、「稲霊はぽろぽろ落っこちちゃうんだよ」という言葉も、理屈でないところで「そうだよね」と思えた。
トンプの人の世界は奥深すぎて、皆でクタクタに議論しあってもまだまだ足りないけど、ひとまずのまとめにむけて、日本チーム、パルチーム、それぞれラストスパートです。