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2004年10月8日金曜日

イタリア紀行 その9「ピサの斜塔、フィレンツエの夜」

10/8(金)
ピサの斜塔は、自力で立ってるエライ奴。
イタリアに来る前、ピサの斜塔は倒れないようにロープで突っ張っているんだと聞いていました。傾いていることは知っていますが、それをどう固定しているのか、それは私の最も注目するところでした。

実際には塔にロープは無く、傾いたその足下をがっちりと補強、固定していました。個人的に固定方法をあれこれと妄想していましたがすべて外れでした。住民が当番制で人力によって支えてるとかね。



ピサ駅について斜塔までの1本道を歩く途中、ふと道沿いのお店の入口に目が止まりました。店の入口をドアではなく大きなビーズを繋げて作った暖簾のようなもので仕切っています。そういうお店は多く、キラキラしてかわいいなと思っていました。ピサだけの流行りかと思っていましたが、帰国後に見た映画「ローマの休日」の中で、オードリー・ヘプバーンが入った美容院の出入り口がピサで見たビーズの暖簾と同じだったので、ピサだけの流行りではなく、おそらく一昔前はローマでも多かったのかなと思いました。
(上:斜塔へ向かう途中、ソルフェリーノ橋から見たアルノ川)

(右:問題の斜塔の足下。)

フィレンツエの夜
その夜は何かの式典がある夜だったのでしょうか。
中世を思わせる衣装をまとった人達100人程が行進するのを見ました。行進の中には楽隊もいて、それぞれラッパや笛や太鼓を持ち、演奏しながら行進しています。この行進を沿道からたくさんの人達がめずらしそうに見ていました。ストロッツイ広場から始まったこの行進は、白馬に乗った衛兵や警察に守られながらサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂へと入って行きました。何の式典が始まるのかな。聖堂へは関係者しか入れませんでした。

一方、聖堂近くのレプブリカ広場では、黒いスーツ姿がかっこいい6人程のバンドマングループが路上ライブをしていました。そして演奏しながらレプブリカ広場からカルツアイウォーリ通りへと移動して行きます。
面白いのは、その場に居合わせた通行人達が、引き寄せられるようにこのバンドの後ろについて一緒に移動していくのです。私もその一人。若いカップルや熟年カップル、お年寄り、子供連れに観光客、みんながとっても楽しそうに歌ったり踊ったりしながらついて行きます。トランペットやホルンを吹きまくるかっこいい音楽に、吸い寄せられるみたい。その数はどんどん増殖していきます。ほんとにすごい数です。ハーメルンの笛吹きってこんな感じだろうかと思いました。

シニョーリア広場に到着すると、バンドマンのリーダーが私達ついて歩く人達に、演奏を聞いてくれたことへの感謝と今夜はここで解散だってこと言いました。が、誰も去ろうとしません。みんなの顔はもっと一緒に歩きたいって期待に満ちた顔をしていました。それを察した様子のバンドマンは再び演奏を始め、大群を引き連れながらアルノ川の方へと向かい、一群は音楽と共に夜の闇に消えて行きました。
私は夜だったし一人だったこともあり、ここでバンドとさよならしてホテルへ帰ることにしました。

帰り道、今度はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂から、式典が終わって帰っていく先程の中世衣装を着た行進を見つけました。でも、その行進がなんだかとても寂しそうに見えました。大聖堂へ向かう時には沿道にたくさんの見物人がいたのに、帰り道にはほとんどいないからだと思いました。なんで人が居ないのかというと、みんな、あのかっこいいバンドにさらわれてしまっていたからです。
人気の少ない道路に彼らの勇ましい行進用の音楽が響いていました。


2004.10/1~14 絵と写真、文:吉田葉子