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2003年11月16日日曜日

南信濃紀行03「御柱」

秋も深まって。冬も間近
11月12日(水)
お昼頃のバスに乗って飯田へ。そこからさらに路線バスに乗り継いで遠山郷へ。 和田に着いたのは17時半頃だったが、すでに真っ暗。 夜に一緒にお食事をした方は、谷底のことを「スリバチソッコ(すり鉢の底)」と笑っていた。



11月13日(木) 曇り、時々晴れ
平成28年度(つまり、次のさらに次の御柱祭)の献木の見立て式の日。朝の9時に、献木者となる方のお宅へ。諏訪神社の氏子衆や隣組の方々が、「おめでとうございます」と次々にやってくる。
お宅の神棚はすでに飾られており、さば、昆布、秋の味覚(りんごや柿、畑から朝抜いてきた立派な大根)、餅、米、塩、酒が供えられている。ちなみに魚をお供えする場合、海のものは腹を神様に向け、川のものは背中を神様に向けるそうだ。海のものは腹が、川のものは背中が美味しいからだという。
来年山から降ろされる献木。
禰宜さまはすでに献木のところへ行ってきて、飾りをしてきたそうだ。

10時に安全祈願祭が始まる。この儀式をへて、献木は「御神木」になるそうだ。
10時半ころに、裏山の献木のところへ移動し、見立ての儀式が始まる。式次第は、家の中で行われていたものと同じ。お供えの品々は家の中から献木の前に運ばれる。献木を見上げたお母さんたちが「まだ、大きくなるら」とおっしゃる。あと13年、御神木となったこの木は、大事に育てられるということだ。
11時頃にお宅へ戻って直会。「遠山ヨイヨイ」や民謡など、皆さん楽しそう。
奥さんやお嫁さんたちは、家の裏手で小豆の脱穀作業。立派な小豆色のつぶつぶ。
午後は、来年の御柱祭の献木者の方にお話を伺いに行く。
「祭りは楽しくて好きだったよ、献木者になる前は(笑)自分でやってみんと、大変さはわからん。昔の人は、えらいもんやったと思うわな。木は、13年間面倒をみることになる。次の次の木が決まらないと、この木も切れんちゅうことになっとるでな、無事にそれも決まったで、来年はあの木も切れる。特に手入れはせんが、今までに3回か4回、注連縄を張り替えた。木が成長するし、古くなって切れてまうもんで。そのときは禰宜様呼んで拝んでもらって、氏子と酒を酌み交わして、それくらいや。とにかく山出しが終わるまでは、夜も眠れんくらい。賄いのことやらいろいろ考えると心配なもんでな。山出しさえ終われば、後は本祭だけだでな。献木者になることは、やっぱりお宮のことだでね、名誉なことよ」



干し柿。凍り付いている。
11月14日(金) 晴れ
来年の献木を見に出掛ける。道中、干し柿を見つける。朝露に凍り付いていた。
前日に献木者のかたに教えてもらったように山に入る。
ところが、しばらく登って見つからない。ますます道もなくなっていくので(最初っから獣道みたいな道ではあったが)仕方なく引き返したら、ふとした瞬間に帰り道を見失ってしまう。「あら?」と思って振り返ったら、一度通り過ぎたはずの場所に献木があった。昨日、新たに決まった献木の華やかな飾り付けの面影はなく、風雨にさらされてお札も茶色くくすんでいた。注連縄も木肌と一体化したように目立たない。
午後は、来年の祭で献木の一番上にのぼる「てっぺんやろう」の大役の方に話を伺う。てっぺんやろうは、いわゆる綱解きの役目で、献木を諏訪神社の境内に立てるときに使う綱を、最後にほどく役目。その方は今回その役目は初めてということだったが「やっぱ花形やもんね、あの上に一人でのぼって、皆の注目を浴びるんやもん。やりたいなあと思って、ずっと見とったわね」。
ちなみに献木は高さ15メートルになるそうだ。
夜は満天の星空。



次のさらに次、平成28年の献木。
11月15日(土) 晴れ 時々曇り
昨夜、よく晴れたせいか朝は特に冷え込む。
伊那市に立ち寄って、高速バスで帰京。東京は雨だったようだ。


おしまい


乾燥中の小豆、と、だれかの影。


南信濃紀行03 ~御柱  2003.11/12~15 絵と写真、文:岩井友子